昭和の時代と僕+

昭和の時代。僕のまわりで起こった些細な出来事を手当たり次第に綴った。

2023-01-01から1年間の記事一覧

スケートと僕

僕が小学生の頃、親戚のおばさんから3人分のお下がりのスケート靴を貰った。兄ちゃんと姉ちゃんは大喜びですぐにスケートをやると言い出した。時期は丁度冬だった。しかし、困ったことに雪が1m以上降るので我が町には手作りのスキー場はあるがスケート場…

子供相撲と僕

夏が終わり秋になると我が町の神社で子供相撲大会があった。神社祭の奉納としての一環である。僕の家は神社までは学校よりも遠く小学3~4年生の時に初めて参加した。僕はもともと近所の子ども達との相撲遊びは好きだった。少しだけ強かったので参加すると…

おやつと僕2

僕の家は農家だったので農繁期になると農協にお菓子を注文した。2~3㎏入りの段ボールに入ったお菓子が玄関の上り口に積み上げてあった。僕は学校から一目散に家に帰った。段ボールのお菓子を見つけるのはいつも僕だった。定番は横綱や英字ビスケット・か…

おやつと僕

僕が小学校から帰って来るとこのような秋は、お菓子ではなく竹笊に茹でたとうきびや鍋に蒸かしたかぼちゃとさつまいもがテーブルに置いてあった。馬にも食べされるのかと思うぐらいこれでもかと毎日置いてあった。実際僕の家に農耕馬がいた。 さつまいもは我…

アイスキャンディーと僕

僕が中学生の夏、農作業の手伝いで一服休みになるとご褒美のおやつはアイスキャンディーだった。アイスキャンディーは10円だった。しかも農協で買うと1割引きで9円だった。100円でアイスキャンディーが11本買えた。兄ちゃんがいるとバイクで農協に…

短靴と僕

僕の小さい頃の夏は黒の短靴が定番だった。短靴はゴム製で履きやすく脱ぎやすかった。ほとんどの男の子が履いていた。しかも安価で家計には助かっていた。 僕は走りながら靴を脱ぎ家に入った。玄関で靴はアチャコチャになりわやだった。じいちゃんにはいつも…

夏と僕

僕の小さい頃の夏………。 僕の普段の身なりは、ランニングシャツと短パンに素足で短靴だった。周りの男の子はほとんど同じような姿だった。僕はもちろん帽子を被る子はほとんどいなかった。よく日射病にならなかったものだと思う。その身なりで僕と周りの子は…

炭火アイロンと僕

僕が小さい頃、炭火アイロンを現役でばあちゃんが使っていた。電気アイロンもあったがばあちゃんは専ら炭火アイロンを使っていた。ばあちゃんは刻み煙草が好きで煙草に点ける炭火が火鉢にいつもあった。その炭火を使ってアイロンを掛けていた。 アイロンの中…

盆踊りと僕

笛の音と手拍子揃えてシャシャンがシャンという唄がスピーカーを通して流れて来る。我が町の子ども盆踊りだった。学校のグランドに櫓を建て大人衆が太鼓を叩く。その周りを子ども達が輪になって踊った。夕方の6時からが子ども盆踊りで8時からは大人の仮装…

箱菓子と僕

僕の親は両方とも10人きょうだいだった。だから僕の家にはお盆の時期になると沢山のお客さんが来た。そしてお供え物やお土産を持って来た。僕と姉ちゃんの狙いは仏壇の前にある箱菓子だった。 お客さんが帰った後、家族にバレない様に箱菓子の中身をいただ…

海浜学校と僕

僕の学校は夏休みの前に3泊4日の海浜学校があった。小学4年から中学3年が参加し民宿を借りきっての行事だった。海のない町で育つ僕にとっては楽しみの一つだった。水泳学習はもちろん宝探しゲームやスイカ割り、花火、キャンプファイヤーと僕らのために…

手押し噴霧器と僕

我が町は田舎だったので、どの家も夏は窓や玄関は常にオープンだった。網戸は無く家の中はハエだらけだった。そこで活躍したのがフマキラーの手押し噴霧器だった。レバーを押してフマキラーの液を噴霧させハエを退治した。ばあちゃんが噴霧した液が間違って…

粉末ジュースと僕

僕が小さい頃、粉末ジュースの素がどの家庭にもあった。夏の定番だった。オレンジ味はもちろんメロン味、イチゴ味などがあった。僕はメロン味が好きだったが我が家はオレンジ味が主流だった。友達の家に遊びに行くとパイン味が出され初めての味に感動した。 …

井戸ポンプと僕

僕が小さい頃、家には水道が無かった。もちろん周りの家にも水道が無かった。各家ではそれぞれ井戸を掘って手押しポンプで水を汲み上げていた。金気を取るためにポンプの先には布の袋が被せてあったが、手押しポンプで汲み上げた水は冷たく美味しかった。 僕…

野菜の箱詰めと僕

僕の家は稲も作っていたが野菜農家だった。色んな野菜や果物を作っていた。繁忙期になると僕も手伝いに駆り出された。 トマト・キュウリ・ナス・ジャガイモ・ナガイモ・ユリ根・ダイコン・ニンジン・ネギ・ハクサイ・キャベツ・レタス・ニラ・カリフラワー・…

少女漫画と僕

僕の家の隣に小川を挟んでH君が住んでいた。H君は1つ年上でお姉さんが2人いた。H君の家に行くと漫画本が山ほど積み上げてあった。それも少女フレンドやマーガレットやりぼんなどの少女漫画がほとんどだった。 僕の漫画本の出合いは少女漫画だった。僕はH君…

鉄人28号と僕

僕が5歳の頃、民放で巨大ロボットのアニメが放映された。それが鉄人28号との出会いだった。グリコグリコのテーマ曲がかかり鉄人28号の影が現れるとテレビの前に釘付けになった。バッカスやサターンなどの敵ロボットと戦う鉄人28号はヒーローで憧れだ…

図書室と僕

僕の小中学校には小さな図書室があった。教室の半分くらいのスペースで両側に棚があり本が並んでいた。小学校と中学校の兼用なので実質それぞれ半分くらいで本の数は少なかった。 図書室が中学校側にあったので、僕は中学生の時に初めて図書室の存在を知った…

紙芝居と僕

小学低学年の頃、テレビの映りも悪く、我が町には本屋がなかったので他に見る娯楽があまり無かった。学校で観る紙芝居は楽しみの一つだった。 初めて紙芝居を観た時、ばあちゃんの昔話とは別に新鮮で面白さに凄く感動した。道徳の授業に先生が今日は紙芝居で…

メロンと僕

我が家ではメロンを栽培していた。僕が小学生の頃なので50年以上も昔の話である。メロンはキングメロンと呼ばれる赤肉のネットメロンとプリンスメロンと呼ばれるネットの無いメロンだった。 当時、キングメロンを食べる時は種とワタを取り出し砂糖を入れて…

田植えと僕

僕が中学生の頃、田植えの手伝いをした。当時、まだ田植え機がそんなに普及していなかったのでほとんどの農家は手植えだった。我が家も反別が少なかったのでもちろん手植えだった。 苗もポットではなく直播だった。手に収まる大きさに苗をまとめ藁で縛り田植…

チョン子と僕2

僕が小さい頃、家族の会話でチョン子がメスだということを知った。チョン子は活発で頭の良い猫だった。ネズミを捕って来ては家族に見せて褒められていた。満足気のチョン子は家の主のように堂々としていた。じいちゃんもばあちゃんもチョン子には一目置いて…

山菜と僕

我が家の裏は山だったので山菜の宝庫だった。僕は春になると竹籠を背負って山菜採りの手伝いをした。 僕は山が好きだったので山菜採りは苦にならなかった。むしろ喜んで山菜採りをした。行者にんにく、うど、わらび、こごみ、たらの芽、ふき、笹竹など山ほど…

運動会と僕

僕の学校は田植えが終わり農作業が一段落した6月に運動会が行われた。生徒が少ない小中学校なので一般の町民も参加した町の一大イベントだった。町民のほとんどが運動会を見に来ていた。神社のお祭りでも出ない出店も2件出ていた。 小学生の頃、運動会の履…

バスと僕

昭和30年代。僕が小さい頃、僕の町はTバスとA電気軌道の2バスが通っていた。バスはボンネットバスだった。 僕はばあちゃんと隣のA市に行くためにバスに乗った。バスには女性の車掌さんが乗っていた。制服を着た車掌さんは切符を切るために通路を上手に歩…

ミニエースと僕

僕が小さい頃は走っている車がまだ少なく馬車が車の代わりに荷物を運んでいた。どの家も馬車で動くので道は沢山の馬糞が落ちていた。風が吹くと乾いた馬糞が舞い上がって大変だった。 僕が小学生になった頃、国道がアスファルトになり父さんが車の免許を取っ…

ブルース・リーと僕

僕が中学生の時にブルース・リーが映画に登場した。近隣のA市やF市には映画館があったがブルース・リー主演の映画は上映されなかった。僕は田舎に住んでいたのでブルース・リーの映画を見たことがなかった。僕は雑誌やテレビの番組で取り上げられたカンフー…

初コンサートと僕

僕が中学2年生の時に、F市の高校に通っていた兄ちゃんがF市文化会館のコンサートに行きたいと言い出した。聞けばコンサートの出演者は南沙織さん、石橋正次さん、青い三角定規だった。 当時、南沙織さんはアイドルで「17才」「潮風のメロディ」「ともだち…

小学校卒業と僕

僕が小学6年生の時にS先生が赴任して来た。大学を出た新任の教師で僕たちの担任になった。5年6年の複式学級で僕たち6年生は男子3人女子6人の9人しかいなかった。S先生はどの生徒にも分け隔てなく接してくれた。僕はあまり勉強が出来なかった。どのよ…

苗床と僕

僕が小学生の頃から春休みになると家の手伝いをした。 我が家は農家なので畑に植えるためのいろいろな苗を育てていた。ハウスの苗床で蜂の巣状の紙ポットに苗を育てていた。家の周りは雪が残っていたがハウスの中はポカポカだった。蒔いた種から芽が出てくる…