昭和の時代と僕+

昭和の時代。僕のまわりで起こった些細な出来事を手当たり次第に綴った。

2022-01-01から1年間の記事一覧

ワインと僕

僕は中学2年の2学期の終わり学校帰りにワインを買った。我が町に酒屋が無かったので農協で買った。農協のおばさんは不審な顔をしていたが親に頼まれたと言った。 じいちゃんばあちゃんも酒が大好きで、我が家系は呑兵衛が多くアルコールに対しては割と寛容…

餅つきと僕

我が家は農家なので臼も杵もあった。12月末に正月用の餅を1俵(60㎏)ついた。朝4時頃からつき始め終わるのは9時頃だった。僕も朝早くから起きて手伝ったが、3分くらいついた餅を食べるのが好きだった。つき手は父さんで合いの手は母さんだった。や…

テレビのアンテナと僕

僕の町は田舎だったのでテレビの電波が非常に弱かった。町の中心部はそこそこNHKと民放2社は映っていた。町の中心部から遠く周りを山で囲まれた我が家はNHKはそこそこ映っていたが、民放は1社だけで非常に電波が弱かった。特に冬はテレビの映りが天候に…

スキー場と僕

僕が中学生になった頃、学校の父兄が総出でスキー場を造った。同級生のAさんの裏山の木を伐採し草を刈っただけのスキー場だったが父兄の愛が溢れていた。全長50~60mでAさんの畑を入れると100m、幅20~30m程だった。木株やブッシュがある野趣…

五右衛門風呂と僕

我が家は僕が小学生まで五右衛門風呂だった。五右衛門風呂は竈を築いて鉄製の風呂釜をのせ、その下から火を焚いた。底が直接釜になっているため、底板が必要だった。五右衛門風呂は薪の残り火や風呂自体の余熱があるので風呂に直接触れたりすると熱かった。…

ばあちゃんの昔話と僕

ねんねこどっちん、亀の子どっちん、どっちんトンデッポウ……。 僕が小さい頃、ばあちゃんは昼寝の時にいつも子守歌を歌ってくれた。子守歌を歌いながらお腹を優しくポンポンしてくれた。 子守歌を歌う前にいつも昔話をしてくれた。ばあちゃんは歌だけでなく…

クリスマスと僕

我が町にはクリスマスだからといってツリーを飾ったりプレゼントを貰ったりする習慣がまだなかった。次の正月がメインだったので特にワクワク感はなかった。でも年に1度だけケーキが食べられた。 我が町にはケーキ屋さんが無かった。だから農協にケーキを注…

中学校の学芸会と僕

僕の学校は小中学校だった。普通の中学校は文化祭や学校祭という名称だったが、僕の中学校は小学校と合同で催すので当然名称も学芸会だった。僕は学芸会という名称に幼稚さを覚えていた。中学生にもなって学芸会はないだろうと…。それは僕だけが思っていた事…

小学校の学芸会と僕

僕の学校の学芸会は町の一大イベントだった。生徒の家族はもちろん生徒が在校していない家族も観に来た。毎年町民が楽しみにしている行事だった。親たちは朝早くからご馳走を作り御重に詰め綺麗に着飾って観に来た。着物を着ている人もいた。御重に詰めたご…

給食と僕

僕の学校は田舎なので給食はA市の給食センターからトラックで届けられた。僕の学校はA市の外れにあったので配達は一番最後だった。4時間目の授業中に用務員さんが給食と食器を各学級の廊下に置いていった。暖かい汁物は保温缶に入っているが給食の時間にな…

不思議な物体と僕

僕が小学5~6年生の頃で秋だった。いつものように市場に出荷する野菜詰めの手伝いを終えご飯を食べに納屋から家に行く途中だった。夜8時か9時過ぎだった。僕の家は山と山に囲まれていて辺りは真っ暗だった。 ふと空を見上げると細長い物体が僕の頭上にあ…

蛇女と僕

我が町では2~3年に1度夏休みの時期に学校の体育館で映画会をした。我が町には映画館がないので、映画を観に行くにはA市かF市しかなかった。映画会は人が集まる我が町の大きな催し物だった。町の大人達は農作業があるので終わった夜に上映した。僕が小学…

かくれんぼと僕

小学校の低学年の頃、近所の子どもと良くかくれんぼをした。いつもは誰かの家でかくれんぼをしていたが、何故かお墓で初めてかくれんぼをすることになった。近くにお墓があり、ちょうどお盆の時期だったのでお墓は草が刈られきれいに掃除がされていた。お墓…

じいちゃんと僕

僕のじいちゃんは明治生まれの頑固者で怖かった。小さい頃、じいちゃんの怒りを買い半日追い掛けられたことがある。僕がごめんねと謝って許してもらった。何が原因だったかわからないが。でも小学校の頃、習字や絵やテストで良い点をとるともの凄く褒めてく…

ばあちゃんと僕

僕のばあちゃんは明治生まれで子どもを10人も産んだ。子どもをたくさん産んだせいなのか腰が曲がっていた。僕はばあちゃん子だったのでばあちゃんに可愛がられた。曲がった背中に乗って遊んでも怒られなかった。鼻から出た青っ洟をちり紙で拭いてくれた。…

遠足と僕

中学2年生の時に転校生Mさんが来てからクラスの雰囲気が変わった。今までどちらかというとクラスは内向的だったが、前向きに新しいことに挑戦する思考に変わった。それまでの遠足は農家さんの原っぱだったり発電所だったり大滝だったりと……いつもの恒例地に…

同級生+先生と僕

僕が中学生の頃も同級生は9人だった。小学校の入学当時は11人いたが小学2年からずっと9人だった。中学2年の時に父親の転勤で転校生Mさんが来たが1年間だけだった。今も僕の記憶の中に印象が強く残るのは中学時代である。僕にとって中学時代は色んな意…

ポチと僕

我が家には犬がいた。名前はポチ。白毛のメスである。僕が小学5~6年生の頃、父が何処からか貰ってきた。中型のガッチリした体躯、三角形の小さな「立ち耳」、巻いた尻尾、目尻が吊り上がった三角形の小さな目、野性味が強い、我慢強い、粗食に耐える、寒…

プールと僕

我が町は凄い。学校の父兄が総出で手作りでプールを作ってしまう。恐るべき父兄のパワーだ。プールは学校から3キロ程離れたところで、国道から林道を1キロくらい入った沢の中にある。近くの川から水を引き入れ作られたプールだ。(我が町についての地図を…

修学旅行と僕

僕の学校は9人と生徒数が少ないので、生徒数の少ない他校と合同で修学旅行をした。市内の5校が一緒だった。これは小学6年生の時も中学3年生の時も同じだった。中学3年生の修学旅行の時は生徒数の割と多い学校はそれなりに5校の中でも幅を利かせていた…

学校と僕

僕の学校は小学校と中学校が一緒になった小中学校である。小中一貫校と言えば格好いいが、単純に生徒数が少ないから必然的にそうなっただけである。校長先生は一人で小学校と中学校を兼ねていた。職員室も小学校の先生と中学校の先生が一緒だった。先生の数…

我が町について

町全体 このあたりで我が町について書こうと思う。その方が昭和の時代と僕+をより理解が出来ると思う。 国道のトンネルを抜けると我が町がある。両側を山に囲まれた細長い山間の町である。町の中央を川が流れその両脇に田畑が拡がっている。自然がいっぱい…

転校生Mさんと僕

中学2年生の春に大都会のS市からMさんが転校して来た。これで学年が男子3人と女子7人の10人になった。凄いことである。まさかこんな田舎に転校生が来るとは。 Mさんはスラリとした体形に洗練されたブレザーとコインローファーの出で立ち。それが少し大…

チョン子と僕1

我が家にチョン子という黒をメインにした三毛のメス猫がいた。物心ついた時から家にいたようなので、その時はすでに相当な歳を取っていたと思う。チョン子は人の話すことを理解していた…と思う。だてに歳を取っていたわけではない…と思う。 ひどい田舎で遊ぶ…

T君と僕2

T君の家には色んな人が来る。モトクロスに出場している何歳も年上のプロのライダーも来る。機械いじりが大好きなT君はバイクをモトクロス用に改造したり修理の手伝いもする。当然バイクにも普通に乗る。 当時、ヤマハのDT-1(250cc)が人気で弟分のAT-1(125…

T君と僕1

僕が中学生の1年の頃に1つ先輩のT君が転校して来た。T君は小柄だが悪ガキぽいところがあって中学生の僕には憧れる一面があった。 特に凄いと思ったのは自転車で自在にウィリー走行する事だった。僕はせいぜい10mくらいが最高だが、T君は100m以上も…

ぼっとん便所と僕

我が家は田舎なので当然便所は和式のぼっとん便所である。ぼっとん便所とは便ツボ(肥溜め)が見える汲み取り式の便所である。時代的にも水洗トイレは普及していなかった。トイレットペーパーも勿論なくわら半紙風の固い鼻紙で、それを揉んで柔らかくして使…

入学式と僕

僕は昭和41年4月に小学校に入学した。凄い田舎なので男5人女6人の僅か11人の新入学生である。その後、男2人は転校する事になるので最終的に9人になった。今は見ることが少なくなったが学生帽を被り、当時の流行である胸に大きく名前を書いたハンカ…