昭和の時代と僕+

昭和の時代。僕のまわりで起こった些細な出来事を手当たり次第に綴った。

学校と僕

 僕の学校は小学校と中学校が一緒になった小中学校である。小中一貫校と言えば格好いいが、単純に生徒数が少ないから必然的にそうなっただけである。校長先生は一人で小学校と中学校を兼ねていた。職員室も小学校の先生と中学校の先生が一緒だった。先生の数も小中を合わせて10人ちょっとだった。先生の数が少ないので中学の先生は専門教科以外の科目も教えていた。生徒は小学校で60人くらい中学校で30人くらいで全校生徒は100人弱だった。
 学校の行事は小中一緒に行う事が多かった。朝礼はもちろん一緒で、運動会も学芸会も校内マラソン海浜学校やスキー遠足も一緒だった。運動会や学芸会は全ての学年の催し物を見ることになる。小学校5・6年や中学生は運動会のために草刈りや石拾い、白線引きなどのグランド整備を勉強そこのけで行った。学芸会も然りだった。学芸会の裏方は中学生と決まっていた。
 中学生は小学生の面倒を良く看ていた。災害時の集団下校は率先して中学生が先頭を切って小学生を引率していた。そういう意味では中学生はお兄さんお姉さんの役目をしっかりこなしていた。小学校の頃は中学生が凄い大人に見えて安心して過ごすことができた。
 学校の造りは木造の平屋でかなり老朽化していた。もちろん体育館も木造でバレーボールをするには天井が低かった。床も全て木なので歩くとギシギシと音がしていた。窓枠も木製なのでガタがきており隙間風が吹き冬などは雪が舞い込んでいた。体育館も便所も小学校と中学校が共同で、便所は小学校1年生から中学校3年生、先生も使うので休み時間は混んでいた。便器のサイズが大きいので小学生がぼっとん便所に落ちた話しも聞いたことがある。 
 僕はそんな環境の小中学校で育った。