昭和の時代と僕+

昭和の時代。僕のまわりで起こった些細な出来事を手当たり次第に綴った。

運動会と僕

 僕の学校は田植えが終わり農作業が一段落した6月に運動会が行われた。生徒が少ない小中学校なので一般の町民も参加した町の一大イベントだった。町民のほとんどが運動会を見に来ていた。神社のお祭りでも出ない出店も2件出ていた。

 小学生の頃、運動会の履物は白足袋だった。運動会の為に毎年白足袋を買った。なぜ白足袋なのかわからないが全員白足袋を履いていた。地面をより肌で感じ走るのが少しでも速くなったのかはわからない。白足袋は布底か布にコルクが縫い込まれた底だったが、その後ゴム底になった。

 徒競走、踊り、玉運び、玉入れ、パン食い競争、障害物競争、リレーなど生徒が少なかったために出る競技が多かった。その当時、徒競走で1位になると新聞社のメダルが貰えた。僕はメダルを貰う為に運動会の2~3日前から農道を走り練習をした。僕の学年は男子が3人しかいなかった。僕のライバルはW君だった。僕とW君は五分五分で交互にメダルを貰っていた。

 お昼はグランドの周りに茣蓙を敷いた上で御重に詰めたご馳走を家族皆んなで食べた。ご馳走は隣の人にあげたり貰ったりしていた。巻ずしにいなりと煮しめが定番で玉子焼き、魚肉ソーセージが付いた。滅多に食べることがない高価なバナナもあった。

 運動会の最後は生徒全員と一般町民が参加した綱引きだった。低学年は綱にぶら下がっていた。参加する者、応援する者が一体となり大いに盛り上がった運動会だった。