昭和の時代と僕+

昭和の時代。僕のまわりで起こった些細な出来事を手当たり次第に綴った。

同級生+先生と僕

 僕が中学生の頃も同級生は9人だった。小学校の入学当時は11人いたが小学2年からずっと9人だった。中学2年の時に父親の転勤で転校生Mさんが来たが1年間だけだった。今も僕の記憶の中に印象が強く残るのは中学時代である。僕にとって中学時代は色んな意味で濃い時代だった。

 中学時代の同級生を紹介したいと思う。先ず男子から紹介したいと思う。僕を含め男子は3人しかいない。良く親戚のおばさんから男子3人だからクラスの女子にモテるでしょと言われたがそんな事はなかった。皆んな小学校からずっと一緒だったので兄弟姉妹のような感じだった。クラス内でつきあっている生徒はいなかった。

それでは出席番号順に紹介したいと思う。出席番号は男子が先で生まれた順番だった。

1番は僕だった。
嫌な事も何でも出席番号順で僕が一番先だった。僕は何でも無難にこなしていたと思うが、音楽の楽器だけはからっきしダメだった。楽譜から楽器に伝える器用さがなかった。僕は西城秀樹さん主演の映画「愛と誠」の大賀誠に憧れ、密かに黄色と紺色のボーダーのTシャツを学ランの下に着ていた。

2番はW君。
兄弟姉妹5人の一番下である。クラスで一番背が高く大人ぽかった。前髪をいつもキッチリ決め、たまに兄の香水もつけていた。下級生の女子にはモテていたと思うがW君の関心は年上の女子だった。僕の学生鞄はパンパンだったが、W君の学生鞄は高校生の兄の影響か幅は薄かった。W君は車いじりが大好きで普通に車を運転していた。フォークギターも得意だった。

3番はT君。
兄弟姉妹4人の一番上である。温厚な性格で皆んなから好かれていた。勉強はからっきしダメだった。先生は勉強について何も言わなかった。全教科の教科書を机の中に入れ家には持ち帰っていなかった。運動ではスキーがもの凄く得意だった。滑る姿はお手本のようだった。


次は女子。女子は6人で中学2年生の時に1人増える。

4番はS.Mさん。
しっかりものでクラスのまとめ役だった。先生もSさんを頼っていた。学級委員長は毎年で中学校の生徒会長もした。転校生Mさんが来るまで僕とクラスのトップの成績を競っていた。

5番はOさん。
クラス一番の美形で修学旅行では他の学校の男子生徒にも人気があった。美形を鼻に掛けたところはなく素直な性格だった。走るのが速くカッコ良かった。

6番はKさん。
3人姉妹の真ん中で明るく大らかな性格の持ち主だった。お茶目でクラスのムードメーカーだった。その場をいつも明るく持ち上げてくれていた。

7番はS.Aさん。
3人姉弟の一番上でしっかりものだった。僕と同じに地区に住んでいた。地区で集まりがあると優しいお姉さん的な存在で子ども達をリードしていた。

8番はAさん。
男兄弟の中で育ったせいかちょっと男っぽいところがあった。フォークギターが得意で吉田拓郎さんの曲をこよなく愛していた。機械いじりも得意だった。

9番はNさん。
クラス一小柄で早生まれだった。クラスの妹的存在だった。早生まれを気にしてかときどき物事に対して少し背伸びをしていた。

転校生Mさん。
Mさんとは中学2年の1年間だったが、数年後に大都会のS市でバッタリ会った。Mさんは花の女子大生だった。運命的な事を考えたがついに何もなかった。(Mさんについては「転校生Mさんと僕」を参照)

担任のE先生。
教科は英語で兄や姉も教わった。E先生は居合道の有段者で放課後、体育館で型の練習をしていた。授業中の先生とは違って別人28号だった。中学の先生は移動が少なくE先生も長い期間我が中学校で教えていた。中学の3年間担任だった。E先生はお酒が大好きで体育のY先生と授業が終わった後、校内の和室で酒を飲み合っていたことを僕は知っていた。

 

少ない人数でも皆んな自分の個性を出しイキイキと生活をしていた。

こんな同級生の中で僕は育った。