昭和の時代と僕+

昭和の時代。僕のまわりで起こった些細な出来事を手当たり次第に綴った。

スキー場と僕

 僕が中学生になった頃、学校の父兄が総出でスキー場を造った。同級生のAさんの裏山の木を伐採し草を刈っただけのスキー場だったが父兄の愛が溢れていた。全長50~60mでAさんの畑を入れると100m、幅20~30m程だった。木株やブッシュがある野趣溢れるスキー場だった。もちろんリフトは無く中学生が中心になってスキーで雪を踏み固めた。

 学校からは500~600mで割と近かく、皆んなでスキーを担いで歩いてスキー場に行った。スキー学習は午前の授業を使って行った。先生が総出でスキーの指導を行ったが、同級生のW君やT君は先生より上手かった。

 小学生の頃のビィディングはカンダハーだったが、中学生になると安全ではないということで少しバージョンアップしたビィディングなった。紐が付いておりスキーが外れても流れないようにスキー靴に括り付けていた。当時、スキーが上手い人の板はメタルスキーだった。僕もそこそこ滑れたが僕のスキー板は合板性で厚く重かった。スキー板を担ぐと肩にスキー板がめり込んでしまうのではないかと思った。

 当時の身なりは、毛糸のスキー帽を被り毛糸のひも付き手袋とヤッケとスキーズボンだった。ジャージを着ている子もいた。僕も下はジャージだった。ジャージは滑るとスースーした。ゴーグルを付けている人は少なかった。先生は付けていた。

 このスキー学習はスキー遠足に繋がっていく。