昭和の時代と僕+

昭和の時代。僕のまわりで起こった些細な出来事を手当たり次第に綴った。

餅つきと僕

 我が家は農家なので臼も杵もあった。12月末に正月用の餅を1俵(60㎏)ついた。朝4時頃からつき始め終わるのは9時頃だった。僕も朝早くから起きて手伝ったが、3分くらいついた餅を食べるのが好きだった。つき手は父さんで合いの手は母さんだった。やっぱり夫婦なので息が合っていた。兄ちゃんもついたが今一つだった。つき終わった餅を家族総出で丸めたり切ったりした。

 餅は毎年5~6種類だった。大小の鏡餅が12組ぐらい。白餅を伸ばして切った切り餅。春先に採ったヨモギを混ぜたヨモギ餅。大人の味で僕は苦手だった。黒大豆を入れた楕円形の豆餅。丸餅の中にあんを入れたあんこ餅だった。母さんは紅ショウガ餅やくるみ餅を試みたが一回きりだった。

 僕は母さんに「何故こんなにたくさん餅をつくの」と聞いたことがあった。母さんは「お客様に食べさせるためだよ」と言っていた。でも、僕はお客様が食べる姿を見たことがなかった。

 結局、餅は春先まで残り家族で食べた。