昭和の時代と僕+

昭和の時代。僕のまわりで起こった些細な出来事を手当たり次第に綴った。

家族

チョン子と僕2

僕が小さい頃、家族の会話でチョン子がメスだということを知った。チョン子は活発で頭の良い猫だった。ネズミを捕って来ては家族に見せて褒められていた。満足気のチョン子は家の主のように堂々としていた。じいちゃんもばあちゃんもチョン子には一目置いて…

山菜と僕

我が家の裏は山だったので山菜の宝庫だった。僕は春になると竹籠を背負って山菜採りの手伝いをした。 僕は山が好きだったので山菜採りは苦にならなかった。むしろ喜んで山菜採りをした。行者にんにく、うど、わらび、こごみ、たらの芽、ふき、笹竹など山ほど…

ミニエースと僕

僕が小さい頃は走っている車がまだ少なく馬車が車の代わりに荷物を運んでいた。どの家も馬車で動くので道は沢山の馬糞が落ちていた。風が吹くと乾いた馬糞が舞い上がって大変だった。 僕が小学生になった頃、国道がアスファルトになり父さんが車の免許を取っ…

初コンサートと僕

僕が中学2年生の時に、F市の高校に通っていた兄ちゃんがF市文化会館のコンサートに行きたいと言い出した。聞けばコンサートの出演者は南沙織さん、石橋正次さん、青い三角定規だった。 当時、南沙織さんはアイドルで「17才」「潮風のメロディ」「ともだち…

苗床と僕

僕が小学生の頃から春休みになると家の手伝いをした。 我が家は農家なので畑に植えるためのいろいろな苗を育てていた。ハウスの苗床で蜂の巣状の紙ポットに苗を育てていた。家の周りは雪が残っていたがハウスの中はポカポカだった。蒔いた種から芽が出てくる…

レコードと僕

僕が小学6年生の頃、おばさんの家に遊びに行った。おばさんには2人の娘がいた。僕より12歳と9歳年上だった。姉妹は子供心でも綺麗だなと思った。従姉妹の部屋に入れてもらうとセパレート型ステレオが置いてあった。 僕の家にもレコードプレーヤーがあっ…

尻滑りと僕

毎年3月末になると昼間溶けた雪が夜の寒さで固まった。早朝は雪が氷のように固くなっていたので普通に雪の上を歩くことができた。 僕は小さい頃、家の畑で兄ちゃんと姉ちゃんと尻滑りをした。荷物を載せる木製の重い橇はあったが、まだ我が家にはプラスチッ…

カップヌードルと僕

僕が中学2年の時。社会人になって都会で就職した兄ちゃんがお土産でカップヌードルを買ってきた。我が町には袋麺はあったがまだカップヌードルは売っていなかった。もちろん袋麺は農協で箱ごと注文したものだった。袋麺は大手メーカーではなくラーメン模様…

風呂の水汲みと僕

我が家は冬になると井戸水の出が悪くなった。そのため、近くの川から風呂に水を汲まないといけなかった。川までは50m程ありそれが小学4年から中学3年まで僕の冬の日課になった。 両手に1個ずつバケツを持ち風呂と川を30~40往復くらいした。我が家…

しもやけと僕

我が町は冬になるとマイナス20°以下になることがしばしばあった。家の中でストーブの近くにいてもストーブの反対側は寒かった。我が家は木造の古い造りなので部屋の中もマイナスになることがあった。 学校までの4キロの行き帰りは歩きで国道の側の川から…

豆炭あんかと僕

冬、我が家ではストーブのない部屋ではマイナスになった。建付けの悪い窓の隙間から雪が入り込み、寝ている頭にも雪が降り積もった。当然、寝る時は暖房が必要だった。暖房がないと寒くて眠れなかった。 僕の幼い頃、電気毛布はまだ我が家にはなかった。手っ…

仮面ライダーと僕

僕が小学校6年生の時に仮面ライダーが初めてテレビで放映された。巨大化することなく原寸大で活躍する姿が身近に感じられ、サイクロンで疾走する姿がカッコ良かった。物語も怪奇ぽっく登場する怪人たちも個性が溢れていた。僕は釘付けになった。 僕は家の周…

お正月と僕

我が家では初詣に行く習慣がなかった。習慣がないというよりも行くとその年あまり良くないことが起こったので行ってはダメだということになった。だが僕の家には神棚があり家族全員正月三が日毎朝お参りをし食事をお供えした。神様に過分なお願いをしてはい…

お年玉と僕

僕の父さんの兄弟は10人、母さんの兄弟も10人だったので正月には沢山の親戚・知人が来た。正月の一週間は毎日何組もの親戚が来て家はいつも一杯になった。茶の間ではすぐに酒盛りが始まった。 引っ込み思案の僕はいつもだとお客さんが来るとすぐに自室に…

ワインと僕

僕は中学2年の2学期の終わり学校帰りにワインを買った。我が町に酒屋が無かったので農協で買った。農協のおばさんは不審な顔をしていたが親に頼まれたと言った。 じいちゃんばあちゃんも酒が大好きで、我が家系は呑兵衛が多くアルコールに対しては割と寛容…

餅つきと僕

我が家は農家なので臼も杵もあった。12月末に正月用の餅を1俵(60㎏)ついた。朝4時頃からつき始め終わるのは9時頃だった。僕も朝早くから起きて手伝ったが、3分くらいついた餅を食べるのが好きだった。つき手は父さんで合いの手は母さんだった。や…

テレビのアンテナと僕

僕の町は田舎だったのでテレビの電波が非常に弱かった。町の中心部はそこそこNHKと民放2社は映っていた。町の中心部から遠く周りを山で囲まれた我が家はNHKはそこそこ映っていたが、民放は1社だけで非常に電波が弱かった。特に冬はテレビの映りが天候に…

五右衛門風呂と僕

我が家は僕が小学生まで五右衛門風呂だった。五右衛門風呂は竈を築いて鉄製の風呂釜をのせ、その下から火を焚いた。底が直接釜になっているため、底板が必要だった。五右衛門風呂は薪の残り火や風呂自体の余熱があるので風呂に直接触れたりすると熱かった。…

ばあちゃんの昔話と僕

ねんねこどっちん、亀の子どっちん、どっちんトンデッポウ……。 僕が小さい頃、ばあちゃんは昼寝の時にいつも子守歌を歌ってくれた。子守歌を歌いながらお腹を優しくポンポンしてくれた。 子守歌を歌う前にいつも昔話をしてくれた。ばあちゃんは歌だけでなく…

クリスマスと僕

我が町にはクリスマスだからといってツリーを飾ったりプレゼントを貰ったりする習慣がまだなかった。次の正月がメインだったので特にワクワク感はなかった。でも年に1度だけケーキが食べられた。 我が町にはケーキ屋さんが無かった。だから農協にケーキを注…

じいちゃんと僕

僕のじいちゃんは明治生まれの頑固者で怖かった。小さい頃、じいちゃんの怒りを買い半日追い掛けられたことがある。僕がごめんねと謝って許してもらった。何が原因だったかわからないが。でも小学校の頃、習字や絵やテストで良い点をとるともの凄く褒めてく…

ばあちゃんと僕

僕のばあちゃんは明治生まれで子どもを10人も産んだ。子どもをたくさん産んだせいなのか腰が曲がっていた。僕はばあちゃん子だったのでばあちゃんに可愛がられた。曲がった背中に乗って遊んでも怒られなかった。鼻から出た青っ洟をちり紙で拭いてくれた。…

ポチと僕

我が家には犬がいた。名前はポチ。白毛のメスである。僕が小学5~6年生の頃、父が何処からか貰ってきた。中型のガッチリした体躯、三角形の小さな「立ち耳」、巻いた尻尾、目尻が吊り上がった三角形の小さな目、野性味が強い、我慢強い、粗食に耐える、寒…

チョン子と僕1

我が家にチョン子という黒をメインにした三毛のメス猫がいた。物心ついた時から家にいたようなので、その時はすでに相当な歳を取っていたと思う。チョン子は人の話すことを理解していた…と思う。だてに歳を取っていたわけではない…と思う。 ひどい田舎で遊ぶ…