昭和の時代と僕+

昭和の時代。僕のまわりで起こった些細な出来事を手当たり次第に綴った。

給食と僕

 僕の学校は田舎なので給食はA市の給食センターからトラックで届けられた。僕の学校はA市の外れにあったので配達は一番最後だった。4時間目の授業中に用務員さんが給食と食器を各学級の廊下に置いていった。暖かい汁物は保温缶に入っているが給食の時間になるとやはり冷めてしまっていた。冬は特に冷めていた。先生が気を利かして配達と同時に教室に入れるがやはり冷めていた。中学生の頃、ラーメンが出たがぬるい汁のラーメンだった。食器はアルミ製で先割れスプーンで食べた。

 給食の内容はおかず1品とコッペパンとジャム、汁物、それに瓶に入った牛乳だった。たまに四角いチーズが付いていた。兄の時代は脱脂粉乳だったが僕の時代は普通の牛乳だった。牛乳は一時期テトラパックになったが、また牛乳瓶に戻った。そこで、先生が考えたのがホット牛乳だった。冬になると僕の学校は石炭の達磨ストーブを焚いていた。その上に乾燥を防ぐためお湯のタライが置いてあった。給食が配達されると先生は授業中にもかかわらず、タライのお湯を捨て新しい水をタライに入れた。そしていつもこう言った。「牛乳を温める人、手を上げなさい」と。牛乳は瓶なので水から温めないと割れてしまう。先生は牛乳の蓋あけを使って牛乳瓶のビニールを剝がさず蓋だけを外しタライに並べてストーブに掛けた。



それによって冬には暖かい牛乳を飲むことができた。


でもストーブから降ろすタイミングを間違えると牛乳が沸騰し、トンデモナイことになった。