昭和の時代と僕+

昭和の時代。僕のまわりで起こった些細な出来事を手当たり次第に綴った。

ミニエースと僕

僕が小さい頃は走っている車がまだ少なく馬車が車の代わりに荷物を運んでいた。どの家も馬車で動くので道は沢山の馬糞が落ちていた。風が吹くと乾いた馬糞が舞い上がって大変だった。 僕が小学生になった頃、国道がアスファルトになり父さんが車の免許を取っ…

ブルース・リーと僕

僕が中学生の時にブルース・リーが映画に登場した。近隣のA市やF市には映画館があったがブルース・リー主演の映画は上映されなかった。僕は田舎に住んでいたのでブルース・リーの映画を見たことがなかった。僕は雑誌やテレビの番組で取り上げられたカンフー…

初コンサートと僕

僕が中学2年生の時に、F市の高校に通っていた兄ちゃんがF市文化会館のコンサートに行きたいと言い出した。聞けばコンサートの出演者は南沙織さん、石橋正次さん、青い三角定規だった。 当時、南沙織さんはアイドルで「17才」「潮風のメロディ」「ともだち…

小学校卒業と僕

僕が小学6年生の時にS先生が赴任して来た。大学を出た新任の教師で僕たちの担任になった。5年6年の複式学級で僕たち6年生は男子3人女子6人の9人しかいなかった。S先生はどの生徒にも分け隔てなく接してくれた。僕はあまり勉強が出来なかった。どのよ…

苗床と僕

僕が小学生の頃から春休みになると家の手伝いをした。 我が家は農家なので畑に植えるためのいろいろな苗を育てていた。ハウスの苗床で蜂の巣状の紙ポットに苗を育てていた。家の周りは雪が残っていたがハウスの中はポカポカだった。蒔いた種から芽が出てくる…

レコードと僕

僕が小学6年生の頃、おばさんの家に遊びに行った。おばさんには2人の娘がいた。僕より12歳と9歳年上だった。姉妹は子供心でも綺麗だなと思った。従姉妹の部屋に入れてもらうとセパレート型ステレオが置いてあった。 僕の家にもレコードプレーヤーがあっ…

尻滑りと僕

毎年3月末になると昼間溶けた雪が夜の寒さで固まった。早朝は雪が氷のように固くなっていたので普通に雪の上を歩くことができた。 僕は小さい頃、家の畑で兄ちゃんと姉ちゃんと尻滑りをした。荷物を載せる木製の重い橇はあったが、まだ我が家にはプラスチッ…

スキー遠足と僕

僕の学校は毎冬スキー遠足をした。隣のF市でワールドカップ開催地の雪質の良いスキー場だった。スキー遠足のために僕たちは父兄が造った我が町のスキー場で練習した。小学高学年から中学3年生までの60人くらいの生徒が参加した。 スキー場は眼下にF市が広…

カップヌードルと僕

僕が中学2年の時。社会人になって都会で就職した兄ちゃんがお土産でカップヌードルを買ってきた。我が町には袋麺はあったがまだカップヌードルは売っていなかった。もちろん袋麺は農協で箱ごと注文したものだった。袋麺は大手メーカーではなくラーメン模様…

風呂の水汲みと僕

我が家は冬になると井戸水の出が悪くなった。そのため、近くの川から風呂に水を汲まないといけなかった。川までは50m程ありそれが小学4年から中学3年まで僕の冬の日課になった。 両手に1個ずつバケツを持ち風呂と川を30~40往復くらいした。我が家…

しもやけと僕

我が町は冬になるとマイナス20°以下になることがしばしばあった。家の中でストーブの近くにいてもストーブの反対側は寒かった。我が家は木造の古い造りなので部屋の中もマイナスになることがあった。 学校までの4キロの行き帰りは歩きで国道の側の川から…

豆炭あんかと僕

冬、我が家ではストーブのない部屋ではマイナスになった。建付けの悪い窓の隙間から雪が入り込み、寝ている頭にも雪が降り積もった。当然、寝る時は暖房が必要だった。暖房がないと寒くて眠れなかった。 僕の幼い頃、電気毛布はまだ我が家にはなかった。手っ…

仮面ライダーと僕

僕が小学校6年生の時に仮面ライダーが初めてテレビで放映された。巨大化することなく原寸大で活躍する姿が身近に感じられ、サイクロンで疾走する姿がカッコ良かった。物語も怪奇ぽっく登場する怪人たちも個性が溢れていた。僕は釘付けになった。 僕は家の周…

お正月と僕

我が家では初詣に行く習慣がなかった。習慣がないというよりも行くとその年あまり良くないことが起こったので行ってはダメだということになった。だが僕の家には神棚があり家族全員正月三が日毎朝お参りをし食事をお供えした。神様に過分なお願いをしてはい…

お年玉と僕

僕の父さんの兄弟は10人、母さんの兄弟も10人だったので正月には沢山の親戚・知人が来た。正月の一週間は毎日何組もの親戚が来て家はいつも一杯になった。茶の間ではすぐに酒盛りが始まった。 引っ込み思案の僕はいつもだとお客さんが来るとすぐに自室に…

ワインと僕

僕は中学2年の2学期の終わり学校帰りにワインを買った。我が町に酒屋が無かったので農協で買った。農協のおばさんは不審な顔をしていたが親に頼まれたと言った。 じいちゃんばあちゃんも酒が大好きで、我が家系は呑兵衛が多くアルコールに対しては割と寛容…

餅つきと僕

我が家は農家なので臼も杵もあった。12月末に正月用の餅を1俵(60㎏)ついた。朝4時頃からつき始め終わるのは9時頃だった。僕も朝早くから起きて手伝ったが、3分くらいついた餅を食べるのが好きだった。つき手は父さんで合いの手は母さんだった。や…

テレビのアンテナと僕

僕の町は田舎だったのでテレビの電波が非常に弱かった。町の中心部はそこそこNHKと民放2社は映っていた。町の中心部から遠く周りを山で囲まれた我が家はNHKはそこそこ映っていたが、民放は1社だけで非常に電波が弱かった。特に冬はテレビの映りが天候に…

スキー場と僕

僕が中学生になった頃、学校の父兄が総出でスキー場を造った。同級生のAさんの裏山の木を伐採し草を刈っただけのスキー場だったが父兄の愛が溢れていた。全長50~60mでAさんの畑を入れると100m、幅20~30m程だった。木株やブッシュがある野趣…

五右衛門風呂と僕

我が家は僕が小学生まで五右衛門風呂だった。五右衛門風呂は竈を築いて鉄製の風呂釜をのせ、その下から火を焚いた。底が直接釜になっているため、底板が必要だった。五右衛門風呂は薪の残り火や風呂自体の余熱があるので風呂に直接触れたりすると熱かった。…

ばあちゃんの昔話と僕

ねんねこどっちん、亀の子どっちん、どっちんトンデッポウ……。 僕が小さい頃、ばあちゃんは昼寝の時にいつも子守歌を歌ってくれた。子守歌を歌いながらお腹を優しくポンポンしてくれた。 子守歌を歌う前にいつも昔話をしてくれた。ばあちゃんは歌だけでなく…

クリスマスと僕

我が町にはクリスマスだからといってツリーを飾ったりプレゼントを貰ったりする習慣がまだなかった。次の正月がメインだったので特にワクワク感はなかった。でも年に1度だけケーキが食べられた。 我が町にはケーキ屋さんが無かった。だから農協にケーキを注…

中学校の学芸会と僕

僕の学校は小中学校だった。普通の中学校は文化祭や学校祭という名称だったが、僕の中学校は小学校と合同で催すので当然名称も学芸会だった。僕は学芸会という名称に幼稚さを覚えていた。中学生にもなって学芸会はないだろうと…。それは僕だけが思っていた事…

小学校の学芸会と僕

僕の学校の学芸会は町の一大イベントだった。生徒の家族はもちろん生徒が在校していない家族も観に来た。毎年町民が楽しみにしている行事だった。親たちは朝早くからご馳走を作り御重に詰め綺麗に着飾って観に来た。着物を着ている人もいた。御重に詰めたご…

給食と僕

僕の学校は田舎なので給食はA市の給食センターからトラックで届けられた。僕の学校はA市の外れにあったので配達は一番最後だった。4時間目の授業中に用務員さんが給食と食器を各学級の廊下に置いていった。暖かい汁物は保温缶に入っているが給食の時間にな…

不思議な物体と僕

僕が小学5~6年生の頃で秋だった。いつものように市場に出荷する野菜詰めの手伝いを終えご飯を食べに納屋から家に行く途中だった。夜8時か9時過ぎだった。僕の家は山と山に囲まれていて辺りは真っ暗だった。 ふと空を見上げると細長い物体が僕の頭上にあ…

蛇女と僕

我が町では2~3年に1度夏休みの時期に学校の体育館で映画会をした。我が町には映画館がないので、映画を観に行くにはA市かF市しかなかった。映画会は人が集まる我が町の大きな催し物だった。町の大人達は農作業があるので終わった夜に上映した。僕が小学…

かくれんぼと僕

小学校の低学年の頃、近所の子どもと良くかくれんぼをした。いつもは誰かの家でかくれんぼをしていたが、何故かお墓で初めてかくれんぼをすることになった。近くにお墓があり、ちょうどお盆の時期だったのでお墓は草が刈られきれいに掃除がされていた。お墓…

じいちゃんと僕

僕のじいちゃんは明治生まれの頑固者で怖かった。小さい頃、じいちゃんの怒りを買い半日追い掛けられたことがある。僕がごめんねと謝って許してもらった。何が原因だったかわからないが。でも小学校の頃、習字や絵やテストで良い点をとるともの凄く褒めてく…

ばあちゃんと僕

僕のばあちゃんは明治生まれで子どもを10人も産んだ。子どもをたくさん産んだせいなのか腰が曲がっていた。僕はばあちゃん子だったのでばあちゃんに可愛がられた。曲がった背中に乗って遊んでも怒られなかった。鼻から出た青っ洟をちり紙で拭いてくれた。…