昭和の時代と僕+

昭和の時代。僕のまわりで起こった些細な出来事を手当たり次第に綴った。

おやつと僕2

 僕の家は農家だったので農繁期になると農協にお菓子を注文した。2~3㎏入りの段ボールに入ったお菓子が玄関の上り口に積み上げてあった。僕は学校から一目散に家に帰った。段ボールのお菓子を見つけるのはいつも僕だった。定番は横綱や英字ビスケット・かりんとうだった。たまにハッカ入りのまつたけやきな粉ねじり、ミニドーナツ、マコロンを注文した。

 まつたけやきな粉ねじりはじいちゃんやばあちゃんが好きだった。僕たち兄弟はミニドーナツ、マコロンが大好きで2~3日できれいに無くなった。いつも最後に残るのは定番のお菓子だった。横綱はその名の通り綱をイメージしたひねった揚げおかきだった。英字ビスケットは英語の勉強だと言ってアルファベット順に並べて食べるのでABCがすぐになくなった。かりんとうは黒糖とうずまきの2種類があった。兄ちゃんは黒糖派で僕はうずまき派だった。姉ちゃんはどちらも好きだった。それもすぐに無くなった。

母さんは子ども達にすぐに食べられると思いすぐにお菓子を隠した。

でも僕は隠し場所を大体把握していた。

母さんは頭の黒いネズミに食べられたと言っていた。

おやつと僕

 僕が小学校から帰って来るとこのような秋は、お菓子ではなく竹笊に茹でたとうきびや鍋に蒸かしたかぼちゃとさつまいもがテーブルに置いてあった。馬にも食べされるのかと思うぐらいこれでもかと毎日置いてあった。実際僕の家に農耕馬がいた。

 さつまいもは我が家では作っていなかったので最初になくなった。いつも最後に残るのがかぼちゃだった。かぼちゃは栗のような甘い味だったが、畑で作っていたので僕は食べ飽きてしまった。かぼちゃに限らず食べ物を残すと世界には食べれない人もいるのに粗末にするなと親からは口癖のように言われた。かぼちゃをパイ・プリン・ケーキにするお洒落な習慣はなく、かぼちゃ団子が精精だった。
 じいちゃんはこの時期になると寒いと言って薪ストーブを焚いていた。ストーブにかぼちゃの皮の方を直に置き、焦げるまで焼くと皮の近い部分がほっこりし更に美味しくなった。

 僕はいつもこの時期なるとこのような食べ方が一番好きだった。

 

 

アイスキャンディーと僕

 僕が中学生の夏、農作業の手伝いで一服休みになるとご褒美のおやつはアイスキャンディーだった。アイスキャンディーは10円だった。しかも農協で買うと1割引きで9円だった。100円でアイスキャンディーが11本買えた。兄ちゃんがいるとバイクで農協に買いに行ったが、兄ちゃんがいないと僕が買いに行く当番だった。
 農協は町の中心部にあり家から3~4kmの距離があった。愛車の5段変速の自転車で頑張っても片道10分くらい掛かった。農協の買い物袋は紙袋だった。夏の暑さの水滴で紙袋がベロベロになり破れて中のアイスキャンディーが落ちる可能性があった。10分はアイスキャンディーの限界だった。僕は自転車の荷台横に付いていた学生鞄用のカゴに入れ必死にペダルを漕いだ。

 買い物当番は好きなアイスキャンディー2本選ぶ権利があった。僕は一番好きなバナナアイスとダブルソーダを選んだ。でもアイスキャンディーはベロベロに溶けていた。でも暑い夏に食べるアイスキャンディーは美味しかった。

 

短靴と僕

 僕の小さい頃の夏は黒の短靴が定番だった。短靴はゴム製で履きやすく脱ぎやすかった。ほとんどの男の子が履いていた。しかも安価で家計には助かっていた。
 僕は走りながら靴を脱ぎ家に入った。玄関で靴はアチャコチャになりわやだった。じいちゃんにはいつも叱られていた。

 短靴のまま川に入ったり、山に入ったりして遊んだ。当然家の手伝いにも履いていた。でも短靴には難点があった。素足で履くため蒸れて足が臭くなることだった。チョン子が油断した時に鼻に足を付けると体が通常の1.5倍くらいに伸び上がり飛んで逃げて行った。近くで干瓢をむいて新聞紙に干していたばあちゃんがバカだねぇとあきれ顔で見ていた。その後、さすがにチョン子も学習し僕に近づこうとはしなかった。

 

 更に残念なことは、僕の足は綺麗に夏の刻印が刻まれていた。

夏と僕

 僕の小さい頃の夏………。


 僕の普段の身なりは、ランニングシャツと短パンに素足で短靴だった。周りの男の子はほとんど同じような姿だった。僕はもちろん帽子を被る子はほとんどいなかった。よく日射病にならなかったものだと思う。その身なりで僕と周りの子は小川に入りカジカやドジョウなどの小魚を捕まえたり、山でクワガタやバッタなどの虫を捕まえたりした。小さい子に何かあると上の子は親にしこたま怒られるので下の子に目を光らせながら懸命に短い夏を遊んだ。もちろん、野菜の収穫や箱詰めなどの家の手伝いもした。お盆が過ぎると我が町も夏の終わりを告げる頃になった。風呂に入る僕の身体は上から下まで夏の証しがしっかり刻まれてヒリヒリして痛かった。周りの子も同じような姿をしていた。

 僕たちは短い夏を思いっきり楽しんだ。



炭火アイロンと僕

 僕が小さい頃、炭火アイロンを現役でばあちゃんが使っていた。電気アイロンもあったがばあちゃんは専ら炭火アイロンを使っていた。ばあちゃんは刻み煙草が好きで煙草に点ける炭火が火鉢にいつもあった。その炭火を使ってアイロンを掛けていた。

 アイロンの中に火鉢から火箸で挟んだ炭火を入れて、その熱で服のシワをのばしていた。アイロンには空気を取り入れる穴と煙突がついていた。

 僕はアイロンが船みたいでアイロンを使わない時は船に見立てよく遊んでいた。

盆踊りと僕

 笛の音と手拍子揃えてシャシャンがシャンという唄がスピーカーを通して流れて来る。我が町の子ども盆踊りだった。学校のグランドに櫓を建て大人衆が太鼓を叩く。その周りを子ども達が輪になって踊った。夕方の6時からが子ども盆踊りで8時からは大人の仮装盆踊り大会だった。我が町の夏の一大イベントだった。野菜の箱詰めを早々に終え家族皆で出掛けた。仮装盆踊りには賞金が出るが、子ども盆踊りには花火セットやお菓子の詰合せが出た。僕は恥ずかしかったので少し踊って花火セットやお菓子の詰合せはしっかり貰った。

 ある夏、大都会のS市の従弟の家に遊びに行った。S市では町内会単位で盆踊りをしていた。僕は驚きとともにヤッターと思った。花火セットやお菓子の詰合せを貰うために僕と従弟は盆踊りのはしごした。